福岡地方裁判所 昭和53年(ワ)1956号 判決 1981年2月26日
原告 日田商事株式会社
被告 国
代理人 川勝隆之 草野幸信 河野善久 橋詰和明
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金七一六万四〇〇〇円及び内金六〇二万円に対する昭和五三年一一月二九日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨の判決並びに被告敗訴の場合には担保を条件とする仮執行免脱の宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事件の経緯
(一) 原告は、昭和四七年三月一三日(以下昭和四七年中については月又は月日のみで示す。)訴外西島生二から、別紙物件目録記載の建物(以下本件建物という。)をその敷地とともに代金一〇〇〇万円で買い受け、同日手附金一〇〇万円を支払い、同月一七日残代金九〇〇万円を支払つて本件建物及びその敷地の引渡しをうけた。
(二) 右土地については三月一八日原告名義に所有権移転登記がなされたが、本件建物については未登記だつたので、原告は、三月二四日福岡法務局西新出張所に対し原告名義の表示登記及び所有権保存登記の各申請をなした。
右各申請は、同出張所同日受付第一二七六三号(表示登記申請)及び同第一二七六四号(所有権保存登記申請)として受付けられたが、同出張所登記官井上光雄は、右表示登記の申請につき実地調査のうえその受否を決することとしてその処理を留保し、また、右所有権保存登記の申請についてはその取下げを指導したため、原告の登記申請代理人司法書士鈴木雄三は、これを取下げた。
(三) ところが、その後訴外国際航業株式会社(以下訴外会社という。)から福岡地方裁判所に対し、本件建物が訴外西島の所有であるとしてこれに対する仮差押命令の申請がなされ、同裁判所は、四月四日本件建物に対する仮差押の決定をなし、同月六日福岡法務局西新出張所にその旨の登記の嘱託をした。
右嘱託は、同出張所同日受付第一五四七一号として受付けられ、更に、同出張所登記官鎗水金光は、本件建物に対する右登記嘱託の受付番号が原告の表示登記申請の受付番号より後順位であるにもかかわらず、同日職権により、本件建物の表示登記及び訴外西島を所有者とする所有権保存登記をなしたうえ、訴外会社のために仮差押の登記を了した。
そして、原告の表示登記の申請は、四月二八日二重登記になるとの理由で不動産登記法(以下単に法という。)四九条二号により却下された。
2 責任原因
(一) 同一不動産について数個の登記手続の申請又は嘱託があつた場合、登記官は、その受付番号の順序に従つて登記をしなければならず(法四八条)、相容れない後順位の登記申請又は嘱託があつた場合には、これを法四九条二号により却下すべきである。
しかるに、本件において、鎗水登記官は、本件建物につき原告の先順位の受付にかかる表示登記の申請があつたにもかかわらず、漫然と後順位の受付にかかる裁判所からの登記の嘱託を受理し、また、その嘱託にかかる仮差押登記のために表示登記をなし、その結果、原告の右表示登記の申請を却下するに至らしめ、原告に損害を蒙らせた。
右は、原告による表示登記の申請の受理を留保した井上登記官が、後日本件建物につき登記の申請がなされる場合に備えて、本件建物については既に先順位で受付けられた登記の申請があることを明らかにするための他の登記官との連絡その他相当な手段を講ずべき義務を怠り、また、鎗水登記官が、既に先順位で受付けられた原告の表示登記の申請があつたにもかかわらず、これを調査、確認すべき義務を怠つた過失によるものである。
(二) 原告の登記申請代理人である鈴木司法書士は、井上登記官の指導により原告の所有権保存登記の申請を取下げた。
ところで、不動産について権利を取得した者は、その登記手続が完了すれば、当該不動産に対し排他的な権利を取得するのであるが、法四八条があることから、登記申請の受付がなされれば、現実に登記手続が完了しなくても以後に受付けられた者に対する関係では権利を対抗しうるようになる地位を取得する。これは登記手続が完了した者に準ずる地位で、一種の権利ということができ、右保存登記申請の取下げは、原告が本件建物について確保した地位ないし権利の喪失を意味する。
井上登記官の右保存登記申請を取下げさせる指導は、原告に右の地位ないし権利を喪失させ、ひいては原告の本件建物の所有権取得におくれて仮差押決定を得た訴外会社に対し、原告がその所有権の取得を対抗できないという結果をもたらし、原告に損害を発生させる違法な行為である。
井上登記官は、右取下げの指導の結果原告に損害が生じることを当然予見できたはずであり、かかる違法な指導をしてはならない義務又は指導を行なうに際しては当事者に損害を与えないようにすべき義務があるのにこれを怠り、漫然と右保存登記申請の取下げを指導した過失により、原告及び鈴木司法書士の意思に反してやむをえずこれを取下げさせ、原告に損害を与えた。
(三) 仮に、右取下げの指導が違法ではないとしても、かかる取下げの結果、原告は本件建物の所有権を対抗できない状態となるのであるから、取下げを指導した登記官としては、迅速に表示登記申請についての実地調査を実施して表示登記を完了し、直ちにその旨を申請人たる原告に通知すべき義務があるというべきである。
しかるに、井上登記官は、表示登記の申請から実地調査を経由して登記が完了するまでに、通常三日長くとも一週間あれば十分可能であるのに、直ちに実地調査をすることなく、申請から一八日間漫然と放置した。そのため、右申請から一三日目に訴外会社のために仮差押の登記がなされ、原告は、本件建物の所有権取得を訴外会社に対抗できなくなり、損害を蒙つた。
3 損害 合計金七一六万四〇〇〇円
(一) 訴外会社は、昭和五三年五月八日前記仮差押にかかる本件建物について福岡地方裁判所に強制競売の申立てをした。そこで、同裁判所は、同月九日強制競売開始決定をなし、本件建物は、最低競売価格金六〇二万円で同年一二月五日競売に付されることとなつた。
そのため、既に本件建物の引渡しをうけて居住していた原告としては、やむをえず訴外会社と、「原告は、訴外会社に対し同月四日限り金六〇二万円を支払う。右金員の支払と引換えに、訴外会社は、本件建物の競売申立てを取下げ、本件建物についての一切の権利を放棄する。」旨の和解をし、原告は、同年一一月二九日訴外会社に対し金六〇二万円を支払つた。
原告は、登記官の前記過失行為により右出捐を余儀なくされ、右同額の損害を蒙つた。
(二) 原告は、本件訴訟の提起、遂行を原告代理人らに委任し、着手金として金五七万二〇〇〇円を支払い、成功謝金として同額の金員を本訴の勝訴判決確定時に支払う旨約した。
7 結論
よつて、原告は、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、前記損害金七一六万四〇〇〇円及び内金六〇二万円(前記6(一)の損害)に対する損害発生日である昭和五三年一一月二九日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(一)の事実は知らない、同(二)及び(三)の事実は認める。
2 同2(一)ないし(三)の各主張は争う。
3 同3(一)及び(二)の事実は知らない。
三 被告の主張
1 請求原因2(一)に対して
(一) 法四八条の規定は、あくまで登記事務処理上の原則を表明したもので、例外を許容しない趣旨とは解されない。そもそも、不動産登記申請の受付は、外観上登記申請書と認められるものが提出されさえすれば、何らの審査をまたず当然になされるもので、受付を経由したにすぎない申請を、すべての場合に後に受付られた登記の申請に優先して取扱うべき実質的な基礎は存しないというべきである。
ところで、不動産の表示に関する登記制度は、不動産の客観的物理的形状、位置等の客観的現況を公示することを目的とするもので、そのため、法は、所有者等に登記申請義務を課し(八〇条一項、三項等)、登記官に実地調査権を付与し(五〇条)、職権により登記をすることができると定めている(二五条の二)。
右の実地調査権の行使は、登記官の裁量に委ねられているものであるが、登記所における事務処理上の人的、物的な諸制約から、申請書及び添付書類の不備のためこれらに基づく書面審査によるだけでは登記事項の正確性について疑義が残る例外的な場合、すなわち、申請人に帰責事由の存する場合に限られている状況にある。
本件において、原告は、表示登記の申請に際し、本件建物の所有権を訴外西島から売買により取得したにもかかわらず、本件建物の建築主が原告である旨の記載ある建築請負人及び左官工事人ら作成の建築工事完了引渡証明書並びに「無届による建築のため確認通知書及び検査済証はありません。」との記載ある土地家屋調査士作成の建物実地調査書を、「申請人の所有権を証する書面」(法九三条二項)として提出したのであるが、私文書は、「申請人の所有権を証する書面」としてその記載内容の信憑性が乏しく、これのみに依拠して処理することは相当でないところから、実地調査が必要と認められたものである。他方、裁判所からの処分制限の登記嘱託は、その添付書類等により登記事項の正確性が担保されており、また、その性質上特に迅速な処理が要請されるもので、漫然とこれを放置しておくことは相当でない。従つて、その登記事項につき疑義の残る原告の表示登記の申請に先んじて、裁判所の嘱託による仮差押の登記の前提として表示の登記をなすことは適法かつ合理的なものというべきである。
以上のとおりで、鎗水登記官が、仮差押登記の前提として訴外西島を所有者とする表示の登記をしたことは、一見法四八条に反するかのようであるが、これは、表示登記における法五〇条の登記官の実地調査権の規定、根本的には表示登記における職権主義に由来するもので、法四八条は、表示登記制度に内在する要請により制約を余儀なくされ、本件には適用がないと解すべきである。
従つて、鎗水登記官の右行為は違法というべきでない。
(二) 井上登記官には過失がない。すなわち、実地調査が必要と判断された原告の表示登記申請については、井上登記官の補助者である元田雅敏事務官が、その申請書の第一葉上部欄外に「要実地調査」と押印したうえ、関係書類を、係に備え付けられている実地調査を要するもののみを保管しておく書類入れに収納し、実地調査に備えた。元田事務官の右措置により、他の登記官は、本件建物につき原告から表示登記の申請がなされていることを、容易に知り得ることができたと考えられる。従つて、井上登記官は、既に原告から表示登記の申請がなされていることを明らかにするための相当な手段を講じたというべきである。
(三) 仮に、鎗水登記官が、本件建物について裁判所の嘱託による仮差押の登記の前提として、訴外西島を所有者とする表示登記をなした行為が、法四八条に違反するとしても、鎗水登記官の右行為と原告の損害との間には因果関係がない。
すなわち、表示の登記はあるが所有権の登記のない不動産について、裁判所から所有権の処分制限の登記の嘱託がなされた場合、右嘱託書に登記義務者とされている者が表示の登記において所有者とされている者と異なる場合であつても、登記官は、右嘱託を法四九条六号により却下することなく、職権で嘱託書記載のとおりに所有権の登記をなし、表題部の従前の所有者の表示を抹消するのである。そこで、仮に、鎗水登記官が、受付番号の順序に従い原告の表示登記の申請に基づく所有者を原告とする表示登記をしたとしても、既に原告の所有権保存登記の申請は取下げられているから、裁判所から仮差押の登記の嘱託があつたことによつて、結局表題部の原告が所有者である旨の表示は抹消されることとなる。
2 同2(二)に対して、
(一) 井上登記官の取下げの指導は、何ら強制的契機を包含するものでなく、これに応じるか否かは全く原告らの任意であり、原告の所有権保存登記の申請が取下げられたのは、原告らの意思によるものにほかならない。
(二) 不動産の表示の登記と所有権保存登記とが同日申請された場合、表示登記の申請が実地調査を要するため即日処理できないときは、所有権保存登記申請は、その権利の客体たる不動産についての表示の登記を欠くものであるから、その申請は法四九条二号に当り、かつ、その欠缺は即日これを補正することができないのであるから、登記官は、右申請を却下せざるをえない。
本件においても、原告の所有権保存登記の申請は、同日なされた表示登記の申請が即日処理されえなかつたのであるから、却下さるべきものであつた。そこで、本来却下さるべき登記申請につき、井上登記官がその取下げを指導したからといつて何ら違法のそしりをうけるものではない。
3 同2(三)に対して
現行法上登記官が実地調査をいつまでに実施すべきかについて定めた規定はなく、この点は登記官の裁量に委ねられていると考えられるから、当該登記所における登記事務処理案件の量、人的物的な処理能力等諸般の事情を考慮しても、なお申請受付後実地調査の実施までに要した期間が、著しく相当性を欠き登記官に委ねられた裁量の範囲を逸脱したと認められる場合でない限り、登記官の行為の違法を論ずる余地はないと解される。
たしかに、本件においては原告の表示登記の受付後実地調査の実施までに通常の場合に比べ長期間を要したことは事実であるが、次に述べる事情を考慮すれば、右期間が著しく相当性を欠き井上登記官がその裁量の範囲を逸脱したということはできない。
(一) 原告の表示登記の申請時期は年度末にあたり、西新出張所においては、官公署の嘱託登記事件が集中して出されたのに加え、たまたま昭和四七年は固定資産の評価替えの年にあたつていたが、一月一日から三月三一日までの期間に申請されたものについては、旧年の不動産の評価を基礎に登録免許税を納付させる取扱いであつたことから、三月中旬から下旬にかけて平常の二倍を越える登記申請が集中した。
(二) また、同じ時期の三月二五日及び四月一日付で定期人事異動があり、西新出張所の職員二〇名中登記官三名事務官五名の計八名が配置換えとなり、後任の職員の着任がほぼ完了した四月五、六日ころまでは、定員のわずか六割(登記官は半数)の職員のみで平常時に倍する案件の処理に当つた。
(三) その結果、当時西新出張所においては、甲号事件(登記申請事件)中格別問題のないものであつても受付から登記完了まで約一週間を要し、通常の処理日数の約二倍を要する状況であつた。
(四) 以上のとおりで、ことさら原告の表示登記申請にかかる実地調査の実施のみが遅延させられたものでなく、四月一〇日に至つてようやく実地調査の実施が可能な状況となつたので、翌一一日早速原告の表示登記申請についても所要の実地調査がなされた。
四 被告の主張に対する原告の反論
1 被告の主張1(一)に対して
表示の登記について、職権による登記が認められ、また、登記官に実地調査権が認められていることは、被告主張のとおりであるが、このことと登記官が登記を受付番号の順序に従つてなすべきこととは、全く次元の異なる問題であり、両者は何ら矛盾するものではない。本件において、原告の表示登記申請につき実地調査を要すると判断しこれを実施すること及び仮差押の嘱託登記の前提として表示登記をなすにつき実地調査を不要と判断したことは、それぞれ適法であるにしても、実際に表示の登記をする際には、受付番号の順序に従つてすることは十分可能であり、またそのようにしなければならないのである。
要するに、法四八条は表示の登記にも例外なく適用されるのであつて、被告主張のごとき制約はない。
2 同1(三)に対して
原告は、本件建物について、表示登記の申請とともに所有権保存登記の申請をなしたが、井上登記官の指導によりこれを取下げたものであるところ、登記官自らが所有権保存登記申請を取下げさせていながら、これに従つた原告に対し、所有権保存登記の申請がないことを理由に因果関係を否定する主張をなすことは、禁反言の原則に照らし許されないというべきであり、因果関係の問題に関しては、原告による所有権保存登記の申請は存するものとして考えてよく、鎗水登記官の行為と原告の損害との因果関係は認められるべきである。
3 同2(二)に対して
所有権保存登記が、表示の登記の存在を論理的に前提としている旨の被告の主張は、原告もこれを是認するが、しかしそうであるからといつて右各登記の申請が同時になされ表示登記の申請が即日処理されなかつた場合、保存登記の申請を却下すべきであるとするのは正当でない。
表示登記の申請が、実地調査の実施のため即日処理されない場合であつても、保存登記の申請は却下されることなく処理が留保され、実地調査の結果表示の登記がされることになれば、その時点で受付番号に従つて所有権保存登記もなされ、若し表示の登記が許されないことになれば、所有権保存登記もまた許されないことになると解すべきである。もつとも、このように解すると、権利に関する登記の日付は申請書の受付の日付をもつてなされ、表示の登記は現実に登記簿に記入する日をもつて登記の日付とされるから、表示登記の日付が所有権保存登記の日付に遅れることになるが、これは単に登記簿に表わされる日付の問題であり、実地調査に日時を要することが避けられない以上法自体が容認していると考えられる。
従つて、原告の所有権保存登記の申請が却下さるべきことを前提とした井上登記官の取下げの指導は、その前提に過誤があり違法たるを免れない。
4 同3に対して
同一不動産について表示登記と所有権保存登記の各申請が同時になされ、表示登記が実地調査を要するため即日なされない場合、登記官は所有権保存登記の申請を却下すべきであると解するならば、申請者がその取得した権利につき対抗力を得る機会を喪失させる結果となるから、登記官は、表示登記の申請と同時に直ちに実地調査を実施しなければならず、その裁量によつて実施の時期を決定することができると解する余地はない。
そして、迅速な実地調査の実施のため、被告国は人的物的設備を確保する義務がある。殊に、被告の主張によれば、原告の表示登記の申請にかかる実地調査の遅延は、定期人事異動と申請事件の増加に原因するとのことであるが、かかる事態は例年のことで、被告は当然予見できたはずである。しかるに、被告はこれを放置していたものであるから、仮に登記官に実地調査の時期についてある程度裁量を認めるとしても、その裁量の範囲を逸脱したか否かの判断においては、定期人事異動、申請事件の増加により事務処理能力が低下したという事情は斟酌されるべきではない。
第三証拠関係 <略>
理由
一 請求原因1(二)、(三)の事実は当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、原告は、三月一三日訴外西島から本件建物をその敷地とともに代金一〇〇〇万円で買い受け、同日手附金一〇〇万円を、同月一七日残代金九〇〇万円を支払い、その約一週間後に本件建物及びその敷地の引渡しをうけたことが認められる。
二 そこで、本件表示登記申請却下等に関する被告の責任原因の有無について判断する。
1 請求原因2(一)(本件建物に対する表示登記申請の順序を誤つた過失があるとの主張)について
法四八条は、「登記官ハ受附番号ノ順序ニ従ヒテ登記ヲ為スコトヲ要ス」と定めているところ、同条は、権利に関する登記の申請のみならず表示登記の申請についても適用され、嘱託による登記についても準用されている(法二五条二項)。また、同条は、登記簿へ記入する順序を定めるとともに、登記申請(又は嘱託)事件の処理の順序をも定めたものと解するのが相当である。
そこで、原告は、本件において、鎗水登記官が、後順位受付にかかる裁判所からの仮差押の登記嘱託のために訴外西島を所有者とする表示の登記をなした行為は、法四八条に反する旨主張するのに対し、被告は、原告による表示登記申請が、その添付書類に疑義があつて、実地調査を要すると判断され、処理が留保された間に、裁判所による仮差押の登記の嘱託がなされた場合には、法四八条は例外を許さないものではない旨主張する。
仮に、先順位受付けにかかる原告の表示登記申請について、原告を所有者とする表示の登記がなされたとしても、同時に申請された原告の所有権保存登記の申請は既に取下げられているから、表示登記完了後改めてその申請がなされない限り、原告所有名義の保存登記がなされることはない。そして、表示の登記のみがなされている不動産につき裁判所から処分制限の登記の嘱託がなされた場合、その嘱託書で債務者とされている者と表示の登記で所有者と表示されている者が異なつていても、登記官は、職権で嘱託書記載のとおりに所有権の登記をし、表題部の従前の所有者の表示を抹消すべきであると解するを相当とするから、結局表題部の原告を所有者とする表示は抹消されることとなり、仮に、本件において、法四八条に定めるとおり先に受付けられた原告の申請に基づく表示登記がなされていたとしても、同登記簿には裁判所の嘱託に基づき訴外会社を債権者とする仮差押の登記が記入され、原告は本件建物の所有権を主張して訴外会社に対抗できないこととなるので、鎗水登記官が、裁判所からの仮差押の登記嘱託のために表示の登記をしたことは原告の損害との間には因果関係がないといわざるをえない。
従つて、原告の請求原因2(一)の主張はその余の点に触れるまでもなく失当である。なお、原告は、登記官自らが原告の所有権保存登記の申請を取下げさせておきながら、これに従つた原告に対し、所有権保存登記の申請がないことを理由に因果関係を否定する主張をなすことは、禁反言の原則に照らし許されない旨主張するが、被告国の因果関係がないとの主張は、井上登記官が先にした右申請取下げの指導と矛盾するものではないから、禁反言の原則に違反しないというべきである。
2 同2(二)(本件所有権保存登記申請に対する登記官の取下指導に過失があつたとの主張)について
次に、井上登記官の、原告の本件建物についての所有権保存登記申請を取下げさせる指導をしたことが、違法であつたか否かについて検討する。
原告は、本件建物についての表示登記の申請と所有権保存登記の申請を同日(三月二四日)なしたが、右表示登記の申請は、実地調査を要するとしてその処理が留保されたところ(以上の事実は当事者間に争いがない。)、後記3(二)で認定の事実によれば、西新出張所において登記申請があつた場合、実地調査等を要しない登記申請であつても即日登記がなされる実情にはなく、特に本件申請当時は殆んど実地調査が行なわれず、原告の表示登記申請にかかる実地調査も申請から一八日を経た四月一一日実施されたことが認められる。
ところで、不動産の権利に関する登記は、その対象たる不動産の客観的、物理的現況の公示を目的とする表示の登記の存在することを論理的に前提としているというべきである。そこで、不動産の表示の登記と所有権保存の登記が同日付で申請された場合において、右表示登記申請が実地調査を必要とするなどの理由から即日処理されえなかつたときは、右保存登記申請は、その権利の客体たる不動産についてその表示の登記を欠くものであるから、法四九条二号により却下を免れないと解するのが相当である。若し、右見解とは異なり、原告主張のように、保存登記申請は却下されず、実地調査を経て表示の登記がなされたとき先の申請にかかる所有権保存登記もまたなされるべきであると解するならば、権利に関する登記の申請については、登記官が形式的審査権しか有しない関係上、その登記の日付は申請の受付の日をもつてなされる(法五一条二項)が、表示に関する登記の申請については、登記官が実質的審査権を有するため、現実に登記簿に記入される日をもつて登記の日付とされるのである(法五一条一項)から、登記簿面上未だ表示の登記がなされる以前に保存登記がなされたような外観を呈する不当な結果となり、登記制度を混乱させることになりかねないので、原告主張の見解は採用することができない。
以上のとおりで、原告の所有権保存登記の申請は、その前提たる表示登記が申請日になされなかつたのであるから、本来却下されるべきものであり、井上登記官が、その保存登記の申請につき、取下げを指導したからといつて、何ら違法の評価をうけるものではない。また、井上登記官が、その指導により原告及び鈴木司法書士の意思に反してやむをえず右保存登記の申請を取下げさせたことは、本件全証拠によるも認めることはできない。
従つて、原告の請求原因2(二)の主張は、失当というべきである。
3 同2(三)(本件表示登記申請に関する登記官の現地調査に遷延の過失があつたとの主張)について
原告は、本件表示登記申請につき井上登記官に漫然実地調査を遷延させた過失があつた旨主張するので、この点について検討する。
<証拠略>によれば、次の事実が認められる。
(一) 西新出張所は、もともと福岡法務局管内で最も事件数が多く、繁忙庁とされていたが、原告の登記申請があつた三月下旬は年度末にあたり、官公署からの嘱託登記事件が増加したのに加え、昭和四七年は固定資産の評価替えの年にあたつており、登録免許税が四月一日から新評価額を基礎として算出される関係から、平常の場合の約二倍(週日一日当りの平均三三〇件、最も少ない日で二二五件、最も多い日で四九七件)の登記申請事件が集中した。
(二) ところで、登記申請事件の処理件数の限度としては、職員一人当り一日ほぼ一〇件が目安とされており、西新出張所には二〇名(内登記官六名)の職員が配置されていたが、三月二五日及び四月一日付で定期人事異動があり、同出張所においても登記官三名事務官五名の計八名が配置換えとなり、後任の職員の着任がほぼ完了した四月五、六日ころまでは、定員の六割(登記官は半数)にあたる職員のみで、勤務時間後も平常に倍する案件の処理にあたつた。
(三) 西新出張所においては、平常の場合、登記申請が受付けられれば当日又は遅くとも翌日に書類審査に回され、格別問題のないときには約三日で登記が完了し、表示登記等の申請につき実地調査を要するとされたときでも、書類審査から早くて二日後、遅くとも一週間以内には実施されていたが、原告の表示登記申請のあつた当時は、前記(一)、(二)の事情から、受付後書類審査がなされるまで約一週間かかり、特に問題のない登記申請事件であつても登記の完了まで一週間を要していた。そして、実地調査を要するとされた事件についても、三月下旬から四月上旬までは殆んど実地調査は実施されなかつた。
原告の本件表示登記の申請も、受付から書面審査まで約一週間かかり、人事異動の余波が落ち着いた四月一一日になつて実地調査が実施された。
以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。
ところで、登記官が、表示登記等の申請につき実地調査を実施する旨判断した場合に、これを実施すべき時期は登記官の全くの裁量に委ねられていると解することが相当でないことはいうまでもなく、当該登記所における処理すべき事件の数、その処理のための人的物的設備等の諸事情を勘案して客観的に合理的と認められる期間内に行なうことを要すると解すべきである。
これを本件についてみれば、原告の登記申請当時、年度末で西新出張所では平常時に倍する事件の申請があつたのに加え、定期人事異動があつて、四月五、六日ころまでは配置定員の六割に当る一二名の職員だけでその事件の処理に当つたもので、そのため、格別問題のない登記申請事件の処理にも一週間を要し、実地調査も殆んど行なう余裕のなかつたことは無理からぬところであつて、原告の表示登記申請にかかる実地調査が、人事異動の余波が治つた四月一一日に実施され、その間に一八日を要したのも、右の事情を考慮すればやむをえないものというべく、未だ合理的な期間内になされなかつたものと解することはできない。
なお、原告は、右の事情は例年起りうることで、被告は、このことを予見できたはずであるから、そのため人的物的設備を確保する義務がある旨主張するが、各登記所における人員の配置、物的設備の確保は、広く全国的ないし地域的な視野に立つて、年間を通じた処理すべき事件数、国民の利便等の諸事情に照らしたうえでの行政上の裁量に基づくものであつて、ある時期における登記事務の処理が一時停廃したからといつて、直ちに被告国はこれを処理するための人的物的設備を確保すべき義務を負うとはいえない。
以上のとおりであるから、井上登記官に、漫然原告の表示登記申請にかかる実地調査を遷延させた過失は、これを認めることはできない。
4 そうだとすると、本件表示登記申請の却下及び本件所有権保存登記申請の取下指導等につき登記官に何らの責任もなかつたというべきである。
三 よつて、原告の本訴請求は、その余の当事者の主張につき判断するまでもなく理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 辻忠雄 湯地紘一郎 林田宗一)
物件目録 <略>